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2007年 08月 15日

忘れられた英雄・核戦争を防いだ男

http://fukuma.way-nifty.com/fukumas_daily_record/2006/01/post_ee57.html

 冷戦のさなかの1983年9月26日の真夜中、モスクワ近郊のミサイルサイトСелпукнов-15(セルプホフ-15)で突然アメリカからの核攻撃を示す警報が鳴り響いた。ミサイルはまた一つまた一つと増えていき、最終的に5発の大陸間弾道ミサイル (ICBM) がソビエトに接近しつつある事を示していた。当時のソビエト連邦の地上レーダーシステムは地平線よりも向こうの対象を検知することができなかったため,それを早期警戒システムに利用することはできなかった。あてになるのは衛星から発せられるミサイルの発射警報だけだった。オペレーターは真っ青になって席を立ち本当に反撃すべきかどうかを問うべく、司令官を凝視した。
 当時の司令官スタニスラフ・ペトロフ中佐は国家の命運そして全世界の命運を担う決断を迫られた。もし彼が目の前にある赤く明滅している「開始」のボタンを押したら間違いなく第三次世界大戦が始まり、双方の国土は焦土と化すのは確実だった。しかも決断のために彼に残された時間は5分足らずに過ぎなかった。

 「内臓に奇妙な感じを覚えました……間違いを犯したくなかったのです。そして,その決断を下しました。」

 ペトロフは己の分析と直感を信じ,その警報は誤りであるという判断を下した。数千発の核ミサイルを保有するアメリカがわずか5発のミサイルを使って戦争を始めるはずがないと言うのがその理由だった。彼は賢明かつ責任感のある男だった。このストレスの多い恐るべき責任の仕事に就いて以来、いつもそのことについて考えどのようなときにどんな判断を下すべきかを考えていた。彼はアラームは間違いであると上司にと他のサイロにも連絡し運命の時を待った。もし攻撃が本物なら遅くとも15分後にはこの司令部も含めアメリカのミサイルが降り注ぎ、十分な反撃のまもなく数百万の人々が亡くなる事になるのだ。
 15分後、ミサイルがソ連の国土に降り注ぐことは無かった。後の調査によって,このときの警報はシステムの誤作動であったことが判明した。雲で反射された太陽光が,ミサイルの発射として誤検出されてしまったというものだった。

 事件の直後は彼の判断は賞賛をもって受け入れられたものの、詳しい調査が始まると,軍は自らのシステムの不備を認めることを拒み、氏をスケープゴートとして仕立て上げ始めた。彼は処罰されることは無かったものの厳しい取り調べをうけ、閑職に追いやられた後、彼は軍を退役した。

 それから15年もの間、軍事機密としてこのことは封印された。しかし冷戦の時代が終わりを告げ、この事件の存在が明らかになるにつれ「知られざる英雄」ことペトロフ氏の偉業を評価する動きが高まっている。2004年の5月には,世界市民協会からトロフィーと $1,000 の賞金が贈られた。21年後にはようやく本国ロシアでもロシアの歴史的な遺産と人権機関の指導官(Arseny Roginsky)によって彼の行動がたたえられた。

 この事件が発生したときペトロフは本来なら勤務中の予定では無かったという。 もし彼がそこにいなかったなら別の司令官が反対の決定を下し、核による世界の破滅を招いていたかもしれない。史上最も愚かなコンピュータプログラムのバグによる危機はこうして回避されたのである。

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