2ntブログ

2005年 09月 02日

私を育ててくれているのは、本当うに年をとった一人のおじいさんです。
おじいさんはいつも歌をうたっていました。

私が少し大きくなってその歌をよく聞くと、それは歌をうたっているのではなく、泣いているのでした。
わけを聞くとおじいさんは、
「昔あった村は病気がはやってみんな死んでしまった、生き残ったのはわしと孫のお前だけだ、死
んでしまった人々のことを思うといくら泣いても泣ききれない」
と言いました。


おじいさんはあまりにも年をとっているので、熊や鹿を採ることができません。
兎や狐のような小さい獲物をとって、おいしい肉の方をいつも私に食べさせ、
自分は固い肉をしゃぶります。
山からとってきた薪も、私が座る方によく燃える木を自分の方にはあまり燃え
ない木を、という具合です。

そのようにして私は大切に育てられ、今は自分の着物の裾を引っ張って、おちん
ちんを隠すぐらいの年ごろになりました。
おじいさんに代わって自分で狩りをできるようになりました。


泣いてばかりで暮らしていたおじいさんは、そのためかだんだん目が衰え、しまい
には全く見ることができなくなりました。
あれほど私を可愛がり、自分は食べなくても私には食べさせてくれたおじいさんで
したが、私はおじいさんと暮らすのが嫌になりました。

目が見えなくなったのをいいことに、肉でも魚でもおいしい方は私が食べ、おじい
さんには骨や筋しかあげませんでした。
薪も、私が座っている方にはよく燃える木をくべ、おじいさんの方には生木をくべま
した。おじいさんは煙にむせながら、いつも寒い思嫌ひもじい思いをしてじっと我慢
をしていました。


おじいさんが早く死ねば、私は一人でどこかに行って楽ができると思い、
段々意地悪も露骨になって、三度の食事も二度、一度に減っていきました。

おじいさんは一言の愚痴も言わず、段々痩せ細って、終いには手も足も
骨と皮だけのようになり、今では自分で寝返りも打てません。


これぐらい弱ったらまもなく死ぬだろうから、おじいさんを捨てて私はどこかに
行こうと思ったのでした。
家の中にあった宝物入れの箱を背負い、生きているおじいさんを置き去りにして、
川の上流に向かって歩きはじめました。

家からずいぶん歩いたころ、川のふちに一本の柳の木があって、川の上に泳ぐ
ようなかっこうで立っていました。
見ると、木にはクッチのつるがからみ、たくさんのクッチの実がなっているのです。

私は突然どうしてもその実を食べたくなり、木に登ってクッチの実を一粒、二粒、
口に入れた途端、急に体の力が抜けて、動くことが出来なくなりました。


自分で自分の体をよく見ると、クッチのつるの網にからまってるというよりも、
つるが体をブスリ、ブスリと貫いて通っているのです。

私は大きな声で「おじいさーん、助けてえー」と泣き叫びました。


すると、上流から一そうの丸木舟に乗った二人の若者がやってきました。
若者たちは木の下に丸木船をつけて、岸辺に上がりました。
助けてもらえる、と思って喜んでいた私を、若者たちは手に持った竿で、めった
めったに殴りつけました。

「おじいさんに不孝をした罰で、このようにされてるのも知らず、助けてくれと
はよくも言えたものだ。これからは死ぬにも死ねずに、いつまでもここにさらさ
れているがよい。おまえのしたことを火の神さまが見ていて罰を与えたのだ。肉
親に不孝をしたものがどうなるか思い知れ。」

と言いながら、二人は散々私を殴りつけると、さっさと丸木船に乗って川を下って
行ってしまいました。


それからというものは、川を通る舟人は必ず私を殴ってから通っていき、死ぬにも
死ねず、夏は雨や風に打たれ、冬はみぞれや雪にさらされて凍えるばかりです。
クッチの実を食べにくる鳥たちにふんをかけられながら、体の肉は溶けてしまい、
骨ばかりになってしまいました。
それでも頭だけは生きていて、何年も何年も苦しんでいるのです。

「だから今いる子供達よ、おじいさんやおばあさんに不孝をしてはいけません」
と、一人の子供が言いながら死んでしまいました。


ジョーは、新婚旅行から帰ったばかりで幸せの絶頂のはずですが
どこか元気がありませ ん。心配した友人がたずねました。

友人:「いったい何があったんだ?」
ジョー:「うん・・。新婚旅行で、僕は妻と初めて結ばれた」

友人:「そりゃいいじゃないか」
ジョー:「でも、終わった後で僕は、日ごろのクセでつい枕元に1万円置いてしまったんだ」

友人:「おいおい!そんなことしたら奥さんいやがるだろう」
ジョー:「いや。妻は慣れた手つきで、2千円お釣りをくれたんだ・・」

778 名前:ノーブランドさん 投稿日:04/02/04 11:23
電車通学をしているので結構時間があり、雑誌1冊なら読みきってしまう。
先週、サンデーを読み終えた時、ふと向かいに座っていた香具師をみたら、
マガジンを読み終えたようだった。相手もこちらに気づき、
無言でお互い立ち上がり、そのままスッとお互いの雑誌を差し出しますた。
なんか、ユニフォーム交換の様なすがすがしさがある朝ですた。
これ、なんで急に止めてもらいたくなったんだろう。
殴るくらいだから、手術前にすっごい不安になるようなことでも言われたのかな…。

日本の医師、手術中の患者を殴り、暴言

「信用してください、私は医者です」……この台詞は手術の最中に患者を殴り、暴言を浴びせ、懲戒処分になった日本人の医師には当てはまらない。

日本中部の滋賀県の病院で先月初め、高齢の女性患者が局部麻酔で手術を受けていたとき、手術台の上で暴れだし、医者に手術を止めてくれ、と叫んだ。

病院によると、医師は、落ち着くように説得したが言うことを聞かなかったため、患者の額を殴り、「静かにしろ」などと暴言を吐いたという。患者は額に5日間けがを負った。

手術は先週、別の医師によって再度行われた。この脅迫的な医師は謝罪し、懲戒処分となった。

from: Exciteニュース


なんにせよ、ひどい話。
なんて幼稚な会社なんだろうか…。

たまっていた休暇の費用170万ウォンを小銭で支給

仁川(インチョン)のある船舶会社が、退職した職員の有給休暇の費用170万ウォン(約18万円)を10ウォン、50ウォン、100ウォンの小銭だけで支給し、これを運びきれないと近隣警察の武器庫に保管するというハプニングが起こった。

H社所属のタグボート機関長として勤め、昨年3月に退職したチョン某氏(63)は、会社側にたまっていた有給休暇費170万ウォンを精算してほしいと要求した。しかし会社側は「勤労契約当時『休暇の費用と退職金は年俸に含む』と明文化した」として有給休暇の費用を支給しなかった。

これに対し、チョン氏は仁川(インチョン)海洋水産庁に2度陳情書を出し、退職後1年5カ月ぶりにその休暇費用を受け取れることになった。しかし先月29日午後6時ごろ休暇の費用を受け取ろうと仁川市中区(チュング)にあるH社事務室を訪れたチョン氏は、会社側の準備したものを見て驚いた。

勤労監督官の指示により、やむを得ず休暇費用を支給することになった会社側は、10ウォン硬貨14袋、50ウォン硬貨8袋、100ウォン硬貨1袋など23の小銭袋を用意していた。銀行が営業を終え、時間外で紙幣に変えることもできず、重さが200キロを超す小銭の袋で釜山(プサン)の家へ帰る意欲を失った。チョン氏はしかたなくタクシーを呼び、小銭袋を近隣地区のレスキュー隊を通じ、警察官らに事情を説明して一晩、武器庫に置いた。

from: 中央日報


loop.jpg
小太郎さまのところでみつけた動画。

ポケバイで縦ループをしようと挑戦しています!思っているよりもスピード出るように見える。乗ってみたいなぁ~…。

でも動画を見る限り、けっこう難しそうだなw

動画を見る


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